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ノットウェイ郡 (バージニア州) : ミニ英和和英辞書
ノットウェイ郡 (バージニア州)[のっとうぇいぐん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ぐん]
 【名詞】 1. country 2. district 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

ノットウェイ郡 (バージニア州) : ウィキペディア日本語版
ノットウェイ郡 (バージニア州)[のっとうぇいぐん]

ノットウェイ郡()は、アメリカ合衆国バージニア州の中央部に位置するである。2010年国勢調査での人口は15,853人であり、2000年の15,725人から0.8%増加した〔Quickfacts.census.gov - Nottoway County - accessed 2011-12-06.〕。郡庁所在地は未編入の町ノットウェイ(人口84人〔American FactFinder - Nottoway, Virginia - accessed 2011-12-06.〕)であり、同郡で人口最大の町はブラックストーン町(人口3,621人〔American FactFinder - Blackstone, Virginia - accessed 2011-12-06.〕)である。
== 歴史 ==
ノットウェイ郡となった地域にヨーロッパ人開拓者が入ってくる以前、この地域にはイロコイ連邦のナドワ族インディアンが住んでいた。郡内では唯一の川であるナドワ川沿いに住んでおり、「ナドワ」とはアルゴンキン語でガラガラヘビを意味した。この「ナドワ」が英語化されて「ノットウェイ」となり、郡名になった。ノットウェイ族の民は自らを「チェロエンホカ」と呼んでおり、「水流の分岐点に住む人々」を意味していた。
ノットウェイ郡が郡政府を設立する以前は、アメリア郡の1地区としてノットウェイ・パリッシュと呼ばれていた。1788年、バージニア州議会の法により、ノットウェイ・パリッシュがノットウェイ郡になった。西部にあるフロンティアと北部や東部のピーターズバーグリッチモンドとを繋ぐ道路の交差点に多くの開拓地が生まれ、近年までタバコ栽培で繁栄していた。1850年代に鉄道が建設され、それに伴った産業が地域事業の主要部分を占めるようになった。郡内の大きな町の1つであるクルーは、1880年代にロバートソンの転轍機側に設立されたときが始まりになった。しかし、近年はタバコも鉄道も衰退し、バージニア州南部地域と同様に経済的な困難さが増し、州中央部のリッチモンドなど繁栄している都市で職や家を求めるようになった。

南北戦争のとき、ノットウェィ郡からはノットウェイ・ライフル衛兵隊とリチャード・アービー大尉のノットウェイ・グレイズという歩兵2個中隊、ジェフレスの砲兵大隊、バージニア第3騎兵隊のノットウェイ中隊を立ち上げて南軍に貢献した。2つの歩兵中隊はバージニア第18歩兵連隊に属し、東部戦線で多くの戦闘に参加したが、特にゲティスバーグの戦いで、ピケットの突撃の時は最前線にいた。この悪名高い突撃により、バージニア第18歩兵連隊と故郷のノットウェイ郡で待っていた家族にとって、壊滅的な被害を受けた。バージニア第18歩兵連隊の軍旗はセメタリーリッジの壁で捕獲され、現在はゲティスバーグで展示されている。戦中に郡域では「グローブの戦い」という小戦闘があったきりだった。この戦闘はロバート・E・リー将軍の北バージニア軍に物資を供給する鉄道の支配を巡り、ブラックストーン(当時はブラックス・アンド・ホワイツと呼ばれていた)近くで起きた。北バージニア軍は当時ピーターズバーグとリッチモンド周辺で塹壕戦に入っていた。アポマトックス・コートハウスで南軍が降伏する以前、最後の戦闘は1865年4月6日に郡境近くのバークビルの西で起こったセイラーズクリークの戦いだった。

郡内の3つの町が1800年代後半に法人化され、全てが郡を2分するアメリカ国道460号線とノーフォーク・サザン鉄道の沿線にあった。原材料を動かし、製品を出荷するのが容易だったので、工業化が進んだ。郡の製品は農産物、木材などが豊富だったのでそれらの資源を生かしたものだった。

20世紀には、農業、工業、商業で多様化が進んだ。郡内に州と国の大きな施設が造られた。第二次世界大戦の勃発で造られたピケット砦は現在バージニア州軍の本部となっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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